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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)1507号 判決 1963年1月17日

控訴人 天理教東中央大教会

被控訴人 佐々木幹三郎

主文

原判決を取消す。

大阪地方裁判所が同庁昭和三〇年(ヨ)第一六一三号不動産仮処分申請事件について同年八月一日なした仮処分決定を取消す。

右申請はこれを却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は本件控訴はこれを棄却する、訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並に証拠の提出認否援用は、第一、被控訴代理人において、

一、本件異議申立が不適法であること(原判決事実摘示第一、六の補充)につき、大阪地方裁判所昭和三〇年(モ)第二〇七一号特別事情による仮処分取消申立事件につきなされた和解(以下甲第一号証の和解という)において、特にその第二項に「申立人は前記の外は、本案判決に至るまで、仮処分執行当時の現状を維持すること。」とあるのは、本案判決があるまで一時的にその第一項の修理等のことを除いては、仮処分執行当時の現状を維持することを約したものであり、右現状を破るための一切の処置をなさざることを約したもの、とりも直さず本件仮処分に対する取消申立や異議申立によつても現状を破らないことが合意されたものである。裁判上の和解は確定判決の場合とは異り、当該訴訟の目的、対象に限られず、当事者の合意によりそのわくを越えた事項についても和解をすることができるものと解すべく、右第二項の合意は前記取消訴訟の目的を越えて異議申立権を放棄したものと解するの外はないから本件異議申立は不適法である。

二、訴外吉本伊信(以下吉本と云う)が、当庁昭和二二年(ネ)第九四号所有権移転登記手続請求控訴事件につきなされた和解(以下乙第一一号証の和解という)第一項に定める分割更正の登記義務を履行しないことを理由に同第五項に基き本件物件につき右吉本名義に所有権取得登記をした点(前同第一、四の補充)につき、(イ)控訴人は右和解第一項前段の分割更正登記は同項後段や第二項の移転登記義務に先行するから、分割更正の登記手続を被控訴人が第四項の日までに履行しなかつたことは義務違背であり、吉本は第五項に基く移転登記をなしうべき権利を取得したというが、右和解条項第五項は、同第一、二、四項の移転登記義務不履行の場合の規定であつて、第一項前段の分割更正の登記手続をなすべき義務違背の場合の規定ではない。分割更正の登記は建物についてのみいえることで土地についてはいえないことであるばかりでなく、分割更正登記手続をなす義務と所有権移転登記手続をなす義務とは一連の手続をなし、切離されて前者が後者に対する先給付義務となつているのではない。右一連の登記手続をなすべき被控訴人の義務が同第四項のごとくにして履行されることが控訴人の金一〇万八〇〇〇円の支払義務と同時履行の抗弁関係に立つているのである。従つて被控訴人は、第四項所定の日時場所に出頭して吉本が出頭するかどうかを確め右金員と引換に右第一、二項の登記手続を履行しても遅滞とならないと解される。されば被控訴人が右金員の支払を受けるのと引換に登記義務を履行するため、第四項所定の日時場所に出頭した以上被控訴人には債務不履行の責なく、却つて右日時場所に出頭しなかつた吉本に債務不履行の責任があり、吉本につき前記第五項の権利発生することなく、また吉本がその名義に所有権移転登記をしたのは、昭和三〇年七月一九日で、それより前昭和二四年七月頃和解契約は吉本の債務不履行により解除されているから吉本のなした所有権取得登記は無効である。(ロ)控訴人は右吉本の金一〇万八〇〇〇円の義務の履行につき、内金七万六九二円は、昭和三〇年七月一八日被控訴人の債務につき第三者の弁済をなし、内金二万円は、被控訴人の負担すべき義務に属する前記和解第五項の分割更正登記手続の費用の立替支払をなし、残額については同月一八日被控訴人のため弁済供託することにより完全に履行されたと主張するが、控訴人は本件物件の所有権は当初の売買契約(以下乙第一二号証の売買という)和解契約(以下乙第一三号証の和解という)当時から本件物件の所有権は吉本に移つていたと主張するのであるから、その主張の遅滞税金は少くとも吉本と被控訴人の間では吉本の負担であり、金一〇万八〇〇〇円の債務の一部の履行たりえないものであるばかりでなく、第三者の弁済は債務者の意に反してなされえぬものであり、前記乙第一一号証の和解調書第五項の権利が発生していないのに勝手になされた分割、更正の登記手続費用を被控訴人が負担すべきいわれもない。元来右和解において本件物件の所有権は合意と同時に被控訴人より吉本に移転したと解すべきではなく、むしろ右第四項の所定日時場所に吉本が代金一〇万八〇〇〇円を持参して出頭したときに移転するものと解すべきである。然るに吉本は右日時場所に出頭せず且つその債務たる右金員の支払もなされておらぬのであるから、本件物件の所有権を取得していないのであり、右吉本よりこれを譲受けた控訴人もまた無権利者である。仮に前記乙第一一号証の和解上の合意に基き所有権を取得しているとしても、被控訴人の物件引渡し並に登記義務と吉本の右金員支払義務が同時履行の関係に立つことは前叙の通りであつて、吉本が勝手にした移転登記は、被控訴人をして同時履行の抗弁権を失わしめる結果となることにより違法であつて、その登記の無効であり、その抹消義務を負うていることにおいて変りはない。控訴人は譲受人として吉本の権利以上のものを取得しえず、これまた被控訴人に対し登記抹消の義務を負担している。

三、控訴人は仮に被控訴人のなした乙第一一号証の和解解除が有効であつても吉本に移転していた本件物件の所有権が、解除により被控訴人に復帰したことにつき対抗要件を充たしていないから、第三者として昭和三〇年七月一九日吉本より移転登記を受けた控訴人に対抗しえないというが、昭和二四年七月頃解除のときには本件物件の被控訴人より吉本への所有権移転については、まだ登記がなされていなかつたのであるから解除による復帰の登記は不要というよりも寧ろ不能であつて、被控訴人は復帰を以て何人にも対抗しうべく、解除後第三者たる控訴人が吉本の不法無効の登記に基き移転登記をしても、これまた無効であり、被控訴人の所有権は違法侵害者たる吉本およびその特定承継人たる控訴人に対抗しうるものである。

四、右乙第一一号証の和解の解除により乙第一三号証の和解や乙第一二号証の売買が復活することはありえない。(イ)先づ乙第一二号証の売買契約であるが、これは成立しておらず、その内容についても売買目的物の範囲に関し意思の不合致の部分が大きく、また被控訴人は右代金の支払もうけていないものである。被控訴人が所有土地家屋の買手の物色をたのんでいた訴外山中太兵衛から同人方で昭和二一年二月一七日訴外岡村喜一郎を引合され、本件の七一番七二番土地と地上建物の全部を買い度い旨申出られたが、被控訴人は確定的な契約にするのは困ると思い逃げるようにして辞去した。そして同日の新聞で旧円封鎖のことをはじめて知り、電話で売買の話の中止を山中に申入れたのであるから右売買契約はまだ成立していない。右会合の際山中が話が纒らぬのに証書様のものを勝手に書きながら高圧的態度で契約締結を強要した記憶はあるが、それが乙第一二号証(被控訴人の昭和三六年七月二〇日付準備書面中二枚目裏面三枚目表面に乙第一三号証とあるは誤記と認められる。)であるのかまたそれに被控訴人が署名捺印したかは全く記憶がない。次いで昭和二一年二月末日か三月一日頃被控訴人は山中に呼ばれて行つた際岡村から「売買代金二二万円を預つているから受取れ。」とて無理に押し付けられた。被控訴人は困じはてて訴外中村正敏弁護士とともに吉本宅を訪ねたが、「岡村に話してくれ。」とて受取つて貰えず、岡村に返そうとすると、「何をいいに来たか。」と云う調子で埓があかず、やむなく奈良地方法務局で返還のため供託しようとしたが、「旧円での供託については取扱につき通達が来ていないので困る。」とて受理を拒まれ、やむなく自分の金をもあわせ二、三〇万の金を封鎖預金とした。右の如く被控訴人は右金二二万円を売買代金として受取つたのではない。のみならず仮に代金支払として受領させられたとしても、当時凍結せられて封鎖預金にする以外に使い用のない旧円での支払は適法な代金支払でなく債務の本旨に従つた履行ではない。しかも右売買契約の目的物として、吉本のがわ(岡村や山中などを指す)は、「大和田村大字野口七一、七二、七三、七四、七五、七六番地の土地と七一、七二番地上の一乃至二一号、二五号、二七号、二八号の建物である」と主張し、被控訴人は「同所七一、七二番地の土地と右地上建物の一部である」と主張して争い、そのため岡村は吉本の名で被控訴人を相手取り奈良地方裁判所昭和二一年(ワ)第三七号事件の訴訟を起して来た位であるから、かくの如く売買目的物の範囲に重大な意思の不合致のある契約は不成立とみるべきものである。(ロ)右訴訟における被告(被控訴人)の訴訟代理人たる訴外石田文次郎、同中村正敏は、被控訴人が売つたことになつている土地建物と預金との両方で財産税を課せられては不利益は大きいとして和解をすすめ、被控訴人もそれで訴訟が取下げて貰えるものならということで承諾し成立したのが乙第一三号証の和解である。この和解により売買の目的物は被控訴人の主張通り同所七一、七二番地の土地と同地上建物の一部であることが確認せられ、なお同所七二番地と同地上建物なる四号と六号の建物を被控訴人所有の同所七〇番地の土地と交換することとし交換差損金として金三万七五〇〇円を吉本より被控訴人に支払うこと、訴は直ぐ取下げることなどが約定せられたが、履行期は特に定められなかつた。右和解があつたに拘らず、相手方は直ぐ訴訟を取下げるなど義務の履行をする様子もなく、その他被控訴人はその訴訟代理人に疑念と不信を持つようになり、右中村に対し和解に関する一切の解任を申入れた。右石田についても同様解任を申入れた。然るに中村は解任届が訴訟委任全部についてでないことになつているのを利用して、右和解を判決とすることを相手方吉本訴訟代理人中西と謀り、中西は請求原因を変更して和解契約成立の事実を主張し、訴取下の合意のあつたことを故意に省き、履行期の定めのなかつたのを昭和二二年二月末日が履行期であると主張し、請求の趣旨をも右のように変更する旨を陳述したのに対し、中村は原告請求通りの判決を求む、原告主張事実は全部認めると陳述し、ここに乙第一号証の判決がなされたのである。しかし右の如き判決には被控訴人としては到底納得できないことは勿論であるからこれに対し控訴し、大阪高等裁判所昭和二二年(ネ)第九四号事件となつた。(ハ)この事件では訴外中山福蔵、同平田奈良太郎などの弁護士が努力せられ、前記乙第一一号証の和解が成立した。右和解の大要は、同所七〇、七一番地の土地と七一番地上の一、二、三、五、七、八号の建物を吉本に与え、吉本は被控訴人に対し金一〇万八〇〇〇円を支払うこと、履行期は昭和二四年六月二〇日履行場所は管轄登記所と定められ、四、六、九、一〇号の建物は被控訴人の方に残された。以上の経過に従つて乙第一一号証の和解は成立したが、これは乙第一二号証の売買乙第一三号証の和解を前提とするものではなく、それらについてはその成立、効力をめぐつて争があるが(本来それらは不成立または要素の錯誤により無効のものである。)乙第一一号証の和解はこれらの点に触れておらず、従つてこれを前提とすることなく成立したものであるから、右和解を解除してもそれらが復活することはありえない。すなわち右乙第一一号証の和解は目的物件の範囲を明確にし、あらたに本件売買をやり直す趣旨で成立したもので、右和解契約につき当事者間の債務不履行による解除がなされた場合にはそれで被控訴人と吉本間の契約関係はすべて終了するべきものである。本件和解を合意するに当つて吉本の債務不履行による解除がなされた暁、右吉本が自己の譲歩からも解放されるというが如きことは双方とも考えてもいなかつた。従つて乙第一一号証の和解解除により吉本は完全に本件物件について無権利者となつたことは明白である。若し右和解解除により旧関係が復活するものとせば吉本は金一〇万八〇〇〇円の不履行により金三万円なにがしの支払義務にまで軽減されまたは免除されることになり到底是認されぬ結果となる。仮に乙第一三号証の和解が乙第一一号証の和解解除の結果復活するとすれば、右の交換補償金三万七五〇〇円の約定は、この後のインフレーシヨンによる貨幣価値の下落により著しく不公正となつているので事情変更の法理により解除する。また乙第一二号証の売買が復活するとせば合意不成立による無効を主張すること前叙の通りである。

五、(原判決事実摘示第一、八についての補充と訂正)乙第一一号証の和解成立後間もなく吉本はその父伊八を代理人として和解第一項の分割更正の手続を、とりこぼちの手続にせられたい旨申入れその為の書類は上村司法書士に依頼してあるとの事であつたので、被控訴人はこれを諒承した。よつて右分割更正の手続は右約定の通りに変更せられたのであるから右義務の不履行ということは和解第五項の発動の理由とはなりえないものである。と述べ、第二、控訴代理人において、

一、(原判決事実摘示第一、一後段の主張に対し)乙第一一号証和解第一項は、乙第一二号証売買乙第一三号証和解による売買並に交換した土地上の建物の敷地地番が真実に符合しなかつたので、建物の所在地番と家屋台帳及び登記簿の記載とを真実に合致させようとする趣旨で台帳の訂正手続及び更正手続を被控訴人においてなすことを規定したものでこれを以て不実の登記を強制するものというをえない。

二、(原判決事実摘示第二、一の補充として)被控訴人が乙第一一号証和解の履行期日たる昭和二四年六月二〇日所轄登記所に登記手続に必要な書類を持参した事実は否認する。被控訴人は所轄税務署に対し建物分割敷地番号更正手続をなすべきに拘らずこれをしていないから必要書類は具備されていない。被控訴人主張の履行催告の事実もない。右の当時建物台帳、土地台帳は税務署が所管しているのであるから、(所轄税務署と所轄登記所の距離は電車で約一時間の距離にあつた。)昭和二四年六月二〇日午前一〇時に所轄登記所に出頭しても自己の負担する所轄税務署に対する建物分割敷地番号更正手続をなすべき債務の履行を提供したということはできない。控訴人のなすべき金一〇万八〇〇〇円の支払と同時履行に立つのは、所有権移転登記義務であつてその前提たる建物分割地番更正手続義務ではない。従つてこの債務を履行せずして履行催告をするも控訴人を遅滞に陥れることを得ず契約解除は効力を生じない。しかも右分割更正登記は被控訴人単独で履行しうる義務であり、相手方の協力を要しない。この義務は右取引の日までに履行を完了すべき約定であつた。被控訴人はこれを履行してはじめて移転登記に必要な権利証がえられ、これと印鑑証明書印鑑を持参してはじめて移転登記に関する自己の義務の履行の提供があつたといえるのである。

三、(原判決摘示第一、三の主張に対し)吉本は乙第一二号証の売買により代金全額を支払い目的物の所有権を取得した。然るに目的物の範囲につき争が生じ乙第一三号証契約となり、吉本は売買物件の一部たる七二番宅地二四六坪と同地上に存する第四、六号建物を被控訴人に譲渡し、被控訴人は七〇番宅地二〇一坪の土地を吉本に譲渡する旨の交換契約をなし、右両契約により控訴人は本件土地建物の所有権を取得している。然るに被控訴人は右土地建物の所有権移転登記並に引渡を履行しないので訴訟となり、第二審で乙第一一号証の和解が成立したのである。右経過からみて明かな通り、右和解は所有権が吉本に移転していることを前提として登記並に引渡等の手続についての争を解決したものである。しかも被控訴人は前叙の通り和解条項上課せられた建物の分割地番更正の手続を遅滞して八年余を経過し、その間不動産価格が暴騰したとしても履行遅滞中の売主たる被控訴人はこれを理由に契約の解除をすることはできない。

四、(原判決事実摘示第一、八、並に本判決事実摘示第一、五の主張に対し)被控訴人の主張は否認する。吉本は父伊八に対し右のような件につき被控訴人と契約する権限を与えた事実はない。よつて仮に伊八との間に被控訴人主張のようなことがあつても本件乙第一一号証の和解には影響がない。

五、(本判決事実摘示第一、一の主張に対し)控訴人は被控訴人より本件の仮処分の執行を受け当時東京で新築工事中の建物資材の補給を断たれると共に現場に於て取毀工事の中止を命ぜられることになり、図り知れない損害を蒙ることになつた。そして終局的には金銭的補償で目的を達する場合で急速に仮処分命令の取消を求める必要があるもの、即ち特別事情があるものと考えて取消申立をした。そしてこの事件で甲第一号証の和解が成立したが、これは仮処分の執行を前提として暫定的にしたもので、このことは和解第一項但書に、「申立人の占有は仮処分執行の内容として占有するものとす。」とあることに徴するも明かである。即ち右和解では仮処分命令に対する異議権は明示的には勿論黙示的にも放棄していない。その後調査の結果被控訴人には仮処分申請をなす被保全権利なく保全の必要性もないことが判明したので本件異議訴訟を提起したものである。

六、(本判決第一、四、の主張に対し)乙第一一号証の和解には奈良地裁昭和二一年(ワ)第三七号所有権移転登記手続請求事件の判決事実摘示が引用せられているから、右和解の基礎となつた事実関係は、乙第一二号証、乙第一三号証の各契約であることは明らかであるに拘らず、右二調の契約が解消せられたことは条項に記載されることなく、右各契約に基く建物分割地番更正の登記手続と更にこれが所有権移転登記手続を規定していることに徴しても右二個の契約を全く空のものとし新に売買契約を締結したものでないこと明らかで、このことは乙第一二号証の売買に基き昭和二一年一〇月一一日吉本がなしていた仮登記が乙第一一号証の和解にも拘らず抹消せられずにいた事実に徴し疑を容れる余地のないものである。なお被控訴人は本件物件の所有権が吉本に移つていたとすればその遅滞税金は吉本と被控訴人間では吉本の負担すべきもので金一〇万八〇〇〇円の一部をなすものでないと主張するが、被控訴人は所轄税務署に対する登記手続並に登記所に対する変更登記を怠つていたので所轄税務署より所有名義人として地租家屋税を賦課せられ、これを納税しなかつたため差押処分を受けていた。そして乙第一一号証の和解調書の第五項は被控訴人が第一、二項の義務を履行しないときは、被控訴人の負担において建物分割地番更正手続及び所有権移転登記手続をなすことを定めているのであるから被控訴人が第一、二項の義務を履行しないことによつて生じた遅滞税金は右第五項によつて当然被控訴人の負担に属すべく、被控訴人の右主張は理由のないものである。

七、(被控訴人の本判決事実摘示第一、四、(イ)(ロ)の主張に対し)被控訴人は乙第一二号証の売買契約が不成立だとか、目的物に対する意思の不合致があるとか代金を受取つていないとか云うが、この主張は時機に遅れた主張で許されない。仮に許されるとしても全く理由がない。蓋し売買契約の成立は前記所有権移転登記請求事件で被控訴人の代理人石田文次郎、中村正敏がこれを認めており、その他証拠上右事実は争う余地のないものである。また代金の点につき金二二万円を被控訴人が受取つたこと自体は認めており、戦後政府は昭和二一年二月一七日預金を封鎖して新円を同月二五日発行することにしたが、旧円は同年三月二日限り強制通用力を失いその後は原則として三月七日までに金融機関に対する預け入れに使用しうるものとなつたにすぎず、本件取引の当日は新円は発行されていなかつたから代金を旧円で支払つたのは当然のことであり有効の支払である。また被控訴人はその訴訟代理人中村、石田の訴訟代理権の制限につき陳弁するところがあるが民事訴訟法第八一条第三項の規定に照し全く意味のない主張である。と述べ<証拠省略>た外はいづれも原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

理由

一、被控訴人は、控訴人は甲第一号証の和解において本件仮処分決定に対し異議申立権を放棄したから本件異議の申立は不適法として却下せらるべきものである旨主張する(原判決事実摘示第一、六本判決同第一、一)から按ずるに、この点については当裁判所は次の通り附加する外原判決理由摘示の当該部分(一の部分)と同一の理由を以て右主張を排斥するからここに右部分を引用する。

当審証人蝶野喜代松の証言によつても未だ前記和解において控訴人が本件仮処分決定に対する異議申立権を放棄したものであることにつき疎明があつたものとするに足りず、且つ成立に争のない甲第一号証によれば、その第二項には、「申立人(控訴人)は前記の外は、本案判決に至るまで仮処分執行当時の現状を維持すること。」と謳われているところ、右にいう本案判決に至るまでというのは通常の用語として本案の第一審判決の言渡を指称するものであり、(この点につき被控訴本人は原審第二回尋問に際し判決確定までの趣旨である旨の供述をしているがたやすく信用し難い。)本件の本案は既に第一審において判決が言渡され目下当庁第五民事部に係属中であることは当裁判所に顕著な事実であるから、仮に右条項が一時的に本件仮処分に対する異議申立権を放棄したものであり従つて本件異議申立が不適法なものであつたとするも、右瑕疵は第一審判決の言渡により治癒せられ本件異議申立は適法なものになつたと解するのが相当である。

二、被控訴人は乙第一一号証の和解は和解条項所定の地番上に存在しない建物を存在するものとして不実の登記を強制するものであり且つ右条項は他の条項と不可分の関係にあるから右和解はすべて無効である旨主張(原判決事実摘示第一、一)するが、この点については原判決理由摘示中、原判決一一枚目表九行より同一二枚目表一行までの説示と全く同一の理由を以て右主張を理由のないものと認めるからここにこれを引用する。

三、次に被控訴人がその主張のような理由で(但し右二の点は既に判断したから除く。)本件仮処分についての本案請求権(原判決末尾添付物件目録記載物件の所有権に基く物上請求権)を有するかどうかについて判断する。

(一)  当事者間に争ない事実と成立に争のない甲第四号証(伯省三、吉本伊信証言調書)の一部乙第一号証(奈良地方裁判所昭和二一年(ワ)第三七号判決)乙第一一号証(当庁昭和二二年(ネ)第九四号事件の和解調書)乙第一二号証(売渡書)乙第一五号証乙第三〇号証の五(山中太兵衛証言調書)乙第一六号証乙第三〇号証の七(中村正敏同)乙第一七号証乙第三〇号証の八(石田文次郎同)の一部乙第一八号証(中西保之同)乙第二三号証(別件準備書面)乙第二八号証(岡村喜一郎証言調書)乙第三〇号証の一乃至三(別件準備書面又は答弁書)及び右中村正敏、石田文次郎、の各証言調書の記載から真正に成立したものと推定できる乙第一三号証(和解書)(但し同証はこれらの証言調書では別事件である関係で甲第四号証と表示せられている。)並に原審証人吉本伊信の証言の一部、原審における被控訴本人尋問の結果(一、二回)の一部を綜合することにより疎明せられる事実とによれば、乙第一一号証の和解調書作成に至るまでの経過は次の通りである。

(イ)  昭和二一年二月一七日被控訴人と訴外吉本伊信との間に被控訴人を売主とし、右訴外人を買主として代金二二万円を以て北河内郡大和田村大字野口七一番地七二番地(以下番地のみを以て略称する。)宅地約一〇〇〇坪(地上建設の本屋並に倉庫その他附属建物附着物庭木庭石一切有姿の侭但し倉庫私有物品は含まず)の売買契約が成立し、代金は当時強制通用力を保持していた旧円を以て全額支払われ右物件につき所有権は訴外吉本に移転した。

(ロ)  当事者間に売買物件の範囲について争を生じ(もつともこの争も買主吉本において坪数の関係から七一番地七二番地の外の土地建物が売買物件に含まれていることを主張するに対し、売主被控訴人においては七一番地七二番地の土地建物のみであると主張したもので少くとも七一番地七二番地の土地建物の売買については争はなかつた。)、被控訴人が契約上の義務を履行しなかつたので吉本は所有権移転登記手続を請求し、奈良地方裁判所昭和二一年(ワ)第三七号事件として係属したが、被控訴人の代理人は、諸般の状勢から和解するのを得策として被控訴人に奨め、当事者間に昭和二二年二月一七日裁判外の和解が成立し、前記売買契約中七二番宅地及び地上建物と七〇番宅地とを交換すること、右交換の補償として原告(吉本)は被告(被控訴人)に対し金三七、五〇〇円を所有権移転登記の際現金で支払うこと、現在の建物登記を七一番地所在の現実建物と七二番地所在の現実建物とに符合するよう被告において分離更正登記をすること等の諸条項が定められた。そして右和解契約は一ケ月位の間に双方履行すべくその時は吉本は訴を取下げる約であつたが、(この点石田文次郎証言調書はやや趣を異にするがたやすく信用し難い。)またもや被控訴人は右契約上の義務を履行せず、却つてその訴訟代理人石田、中村両名に対し和解調書作成権限の点につき訴訟委任を解除するという挙に出たので、吉本の方では、前記和解書の内容に副うように請求趣旨を変更し、よつて奈良地方裁判所は、昭和二二年七月一五日本件原判決末尾添付物件目録物件中七一番宅地並に七一番七二番地上の建物(右目録記載の外に七二番宅地上の第四、六、九、一〇各号建物をも加える。)につき被控訴人は吉本に対し所有権移転登記手続をなし且つ右第四、六、九、一〇各号建物を除きその余の不動産を引渡すこと、被控訴人は吉本より金三七、五〇〇円を受取ると同時に七〇番宅地二〇一坪に付き所有権移転登記手続をなし且つ同不動産を引渡すことを命じた判決を言渡した。(右乙第一三号証の和解により、吉本は一旦乙第一二号証の売買を原因として吉本の所有に帰した物件中七二番地の宅地及び地上建物即ち第四、六、九、一〇の建物の所有権を失うべく、これに代えて七〇番宅地の所有権を取得する合意をなし、よつて七〇番宅地と七一番宅地並にその地上物件は吉本の所有に帰したものと判断するのが相当であり、金三七、五〇〇円の支払は所有権移転登記義務の履行と同時履行にかからしめる趣旨にすぎぬものとするのが相当である。蓋し右補償金額は当初の支払済の売買代金額に比し僅少であり、乙第一三号証の文面上も交換契約による各交換物件の所有権の得喪を右補償金支払の時まで双方が留保する趣旨の合意を窺うことをえない。)

(ハ)  右奈良地方裁判所の判決に対しては、被控訴人より控訴し、当庁昭和二二年(ネ)第九四号事件として係属し、昭和二四年五月二三日成立したのが乙第一一号証の和解である。その内容の要点は、一、被控訴人吉本に対し所轄税務署に対し原判決末尾第一目録記載家屋中第四、六、九、一〇各号を七二番地上に存在するものとしてその余の建物を七一番地上に存するものとして建物分割敷地番号更正の手続をなし、且つ同趣旨の登記手続をした上原判決末尾第三目録記載の分割後の家屋(第一乃至第三号及び第五乃至第八号)並に土地に付き吉本に対し所有権移転登記手続をなし且つ引渡さねばならぬこと、二、被控訴人は吉本に対し原判決末尾第二目録物件(七〇番宅地)につき所有権移転登記手続をなし物件の引渡しをせねばならぬこと、三、被控訴人が所有権移転登記手続をなし且右第三目録記載建物内に存在する荷物を引取り且つ右土地家屋の引渡を完了すると同時に吉本は被控訴人に対し金一〇万八〇〇〇円を支払わねばならぬこと、土地建物の引渡しは登記を以て完了するものとすること、四、右取引は昭和二四年六月二〇日午前一〇時所轄登記所に双方当事者出頭の上これを履行すること、五、被控訴人が前項の所有権移転登記、物件の引渡及び荷物の引取りをしないときは被控訴人は吉本に対し前記第一目録記載不動産につき所有権移転登記手続をしなければならぬこと、その場合吉本は被控訴人の負担で第一項の分割登記をなし、分割した第四、六、九、一〇各号の建物につき被控訴人に対し遅滞なく所有権移転登記手続をしなければならぬこと、また被控訴人は吉本に対し前記の通り第三目録記載建物中に存在する動産を収去し右家屋を明渡さねばならぬこと、(六、七、八、九は省略する。)などである。

原審における被控訴本人尋問(第一回)の結果及び甲第五号証(被控訴本人尋問調書)中右疎明に反する部分は信用し難く、他に右疎明に反する資料はない。

(二)  被控訴人は右乙第一一号証の和解は、当事者間の従来の紛争を一掃し、新に当事者間に同号証記載の通りの対価を以て同号証記載の物件を売買したると同一の効果を持ち、従つてこれを解除したときは、物件の所有権は紛争の経過の如何に拘らず原所有者たる被控訴人に帰するものであるとの趣旨の主張をするので以下被控訴人の解除についての主張の当否を按ずるに、

(イ)  前記乙第一一号証の和解条項第一項前段の被控訴人の吉本に対する義務すなわち同条項表示の建物分割敷地地番更正の手続を所轄税務署でなすべき義務は、控訴人の主張するとおり被控訴人単独で履行しうる義務であり、吉本において何等これに協力することを要しないものではあるけれども、それだからといつて右義務が他の義務と共に吉本より被控訴人に対する金円の支払義務と同時履行に立つことを妨げるものではなく、昭和二五年改正前の不動産登記法(第九二条参照)上建物分割の登記申請には必要書類として家屋台帳謄本の添付を必要とし、しかも当時においては家屋台帳は税務署において保管せられていたところから、特に右前段の義務がいわば念のため右第一項に謳われたにすぎず、主要なる義務の本体は第一項後段の移転登記義務にあつたもので、いいかえれば前段の義務は後段の義務に附随する前提義務たるにすぎず、独立に価値を持つ義務ではないから、原判決理由中に一連の義務としてその全体が金円支払義務と同時履行に立つと説示せられているのはその限りにおいては正当なる判断であることを失わない。(原審証人吉本伊信の証言及び成立に争のない甲第四号証中右説示に反する点はたやすく信用し難く他にこれに反する疎明もない。)よつて右前段の義務も亦一連の義務の一部として金円支払と同時履行の関係に立つているものであるから、吉本がこの義務を履行遅滞に陥れるには、自己の反対義務たる金円支払義務につき前記履行期日に履行場所で現実の履行提供をなして受領を促がすことを要するのは当然でその点の主張立証のない本件では、控訴人が被控訴人の右前段の義務の履行遅滞により和解条項第五項が発動し、吉本は分割更正の手続移転登記を被控訴人の費用でなすことができ、滞納税金の支払も右手続をなすため必要とする費用として被控訴人に帰せしめうるのであり、吉本がこれらのため要した費用はすべて立替金として被控訴人に対し求償しうべく、この求償債権を以て和解条項の金一〇万八〇〇〇円の支払義務と相殺する旨主張するのは全く当をえない。すなわち被控訴人は未だ右前段後段の義務につき履行遅滞に陥つたものでなく第五項発動の事態に立到つていないに拘らず、同条項が発動されたものとして吉本名義になされた移転登記は、被控訴人をして故なく同時履行の抗弁権を失わしめる点で不当なものなることはまことに被控訴人の主張する通りである。

(ロ)  しかしながら凡そ債務の現実の履行の提供は、「債務者が直に債権者が受領しうる様に当該事情の下においてそのなしうる限りのことをなし、唯債権者の協力がないため履行を完了することができないという程度にまですべてのことをなし尽すことをいう」(大判大一〇、七、八民録二七、一四四九)。そして本件の被控訴人の債務のように一定の日時一定の場所に当事者相会して登記義務などを履行すべき債務の場合、民法第四九三条本文の現実の提供をせねばならぬのか、同条但書の口頭の提供で足りるのかは争の存するところであるが、右但書が債務の履行につき債権者の行為を要するときに口頭提供で足りるとしているのは、債務者が先づ債権者の協力をえなければ履行行為に着手しえないからであり、この場合には債権者も債務者が直ちに履行に着手すべき準備を完了しているかどうかが全然分らないから債務者から準備完了の有無の通知を要求しうる。然るに本件の如く一定の日時場所に相会して登記義務を履行すべき債務にあつては、債務者は登記所に赴くことを必要としその限りでは履行の準備を超えて履行の意思の実現を要求される。従つてこの場合は債権者も自ら登記所に赴き弁済の受領に努むべく、拱手して債務者からの弁済準備完了の通知を待つを以て足るべきでなく、かかる債務における弁済の提供は現実の提供であり、口頭の提供ではないと解すべきである。そこで本件において債務者(被控訴人)が係争土地家屋についての権利証(登記済証)と印鑑を携え、移転登記の前提義務たる税務署における分割更正手続未済のままで(この点は被控訴人自らそう主張している。)所定日時に所定登記所に赴いたことが、現実の履行の提供に当るかどうかが問題となるのであるが、右分割更正手続は先行義務でなく同時履行義務であることは前示の通りであるけれども、現実の履行の提供の定義は前示の如く、債務者としては債権者が直ちに受領してくれる様なしうる限りのことをなさねばならぬのに、税務署における分割更正手続未済のままでは到底債権者としては直ちに受領することができないことは明瞭であつて、しかも成立に争のない乙第一九号証によれば、昭和二四年六月当時本件目的物件に関する所轄税務署は枚方市岡町で所轄登記所は当時の北河内郡茨田浜町で両者の距離四里一八町あり、且つ当時不動産の移動事項を登記するためには税務署長宛申告書正副二通を物件所在地の村長に提出し、その処理済後正本に村長を経由したことを証したスタンプを受けて署長に提出し、その処理後謄本(台帳謄本の意であろう。)を受けてこれを登記申請書に添付せねばならぬ手続であつたことが疎明せられ、被控訴人が分割更正の手続未了のまま所定日時所定登記所に赴いたことは、前記現実の提供の定義に照し、これの要件を充足するにつき遠く及ばないものがあるといわねばならず、被控訴人はその主張のようなことでは未だ自己の義務につき現実の提供をしたものと判断することはできない。(右説示は一見前記(イ)の説示と矛盾し分割更正の手続義務を先行義務となすものとの誤解を生ずる虞があるけれども、そうではなく、本来税務署でなす義務につき登記所を履行場所とすること自体が一見するところ矛盾であつて勢事実として分割更正手続をなす義務は、完全に被控訴人が履行場所で分割更正及び移転登記をなす義務につき履行提供をするためには先行せられるのを通常とするけれども、だからといつてそれを先行しない場合に、それが本来先行義務でなく同時履行の義務なる以上、相手方(債権者)からその反対義務の履行の提供を受けることなくして履行遅滞に陥れられることはない。そして履行場所を異にする相対立する債務の同時履行も純理上は成立ちうることである。例えば本件において被控訴人が一切の準備を完了し税務署で台帳の移動登録がなされる寸前までの状態にしておき、他方登記所で相手方が現金を持参して現れるのを待ち、本人または代理人が両所に出頭して電話で打合せ、相手方よりの現金支払の提供を受けて、税務署での移動登録を終え、謄本の下附を受けて急拠登記所に持ち来り、分割更正登記についての添付書類とすればよい。この場合四里半の距離に若干の時間を要することは債権者にとつてそれを忍ばねばならぬものとすることが信義則に適するであろう。異場所におけるしかも本来の履行の前提たる履行も通常それは事実として先履行されるに止り絶対に同時履行たりえないとはいえないから右説示は(イ)の説示と矛盾しない。)

(ハ)  右のとおり、債務者たる被控訴人は履行期日に履行場所で現実に履行の提供をしたものでない限り、債権者の反対義務たる金円支払義務を履行遅滞に陥らしめたものでなく、そのなしたと主張する解除は無効であると判断するのが相当である。もつとも債権者たる吉本が自己の反対債務を履行する意思乃至自己の債権につき履行を受領する意思のないことが明白である場合は債務者たる被控訴人に右述のような厳格な現実の履行提供を要求することができないことは勿論であるが、前記吉本証人の証言及び甲第四号証の各一部によれば、吉本は当時病気であつたのみならず前記和解条項第一項前段の義務は先行義務でこれが履行されたことの通知があつて始めて履行期日に履行場所で現金と引換に移転登記がなさるべきものであると信じていたところ、一向に右先行義務履行完了の通知がないから、従来も屡々債務を履行しない被控訴人のこととて今度もまた不履行するものであろうと思い履行期日に履行場所に赴かなかつた事実が疎明せられ、吉本がそのように思つたことは前示のような本件乙第一一号証和解成立に至る経過と右和解条項の文言に照し法律家でない同人にとつてやむをえぬものと考えられるから、右事情の下においては、同人が履行期日に履行場所に出頭しなかつたことから直にその債務の履行拒絶乃至自己の債権につき受領拒絶の意思が明かであるという結論を導くことは早計に失する。

(ニ)  次に被控訴人は、乙第一一号証の和解后吉本より申出があり一部の建物につき抹消登記をなした後移転登記をなすべくその手続は吉本において上村代書人に依頼する趣旨に条項の一部変更がなされたから、和解条項第一項前段の義務不履行の責はないと主張するが、甲第五号証によつても、吉本伊八または伊次と被控訴人との間に和解第一項の分割更正につき建物の一部を取毀しによる抹消登記にすることとし、既に吉本方で代書人に頼んであるというので、被控訴人が上村代書人に聞いたところ、履行期日までに書面をこしらえるということであつたという趣旨の事実が疎明せられるに止り、いまだ吉本伊信と被控訴人との間に被控訴人の右第一項の分割更正の手続をする債務を変更乃至免除した事実は疎明せられず他にもこれを疎明するに足る証拠もない(成立に争のない甲第三号証(平田奈良太郎証言調書)中買主(吉本のこと)が登記手続をすることになつていた旨の記載は信用できない。)から右被控訴人の主張は採用し難い。

(ホ)  次に被控訴人は事情変更による解除を主張するから按ずるに、本件乙第一一号証の和解契約の双方の当事者にいづれも履行遅滞の責のないこと前示の通りであるから、右条項はそのまま期限の定めのない双方の同時履行の債務として続くのであり、このような双方に履行遅滞の責のない状態で継続する契約関係は、そのままで長年月を経、よつてその間に著しく事情が変更した場合は、これを理由として契約解除しうる場合があるが、それがためにはいわゆる事情の変更は当事者の予見することの著しく困難なものでなければならないのであつて、被控訴人において事情が変更したと主張する乙第一一号証の契約の履行期(昭和二四年六月)と、契約解除時(昭和三二年九月一六日の原審口頭弁論で同日付準備書面の陳述により解除の意思表示がなされたものなること当裁判所に顕著である。)までの間にインフレーシヨンによる貨幣価値の下落があること、就中不動産(特に土地)については価格の高謄甚しいものがあることはいづれも公知の事実であるけれども、大戦後敗戦国においては著しき生産の減退、物資の窮乏により急激なインフレーシヨンに見舞われ勝ちなもので相当長年月に亘りその終熄を見ないものであることは、これまた公知の事実である点からみて、右インフレーシヨンを予測の困難なものとすることはできず(この事は前に説示した乙第一一号証和解において乙第一三号証の和解金が一挙に三倍位に増額せられていることからも裏付けすることができる。)更に本件土地が右期間にどの程度甚しい値上りをしたかについては何等具体的にこれを疎明する資料なく、(わずかに成立に争のない乙第七号証の一によれば昭和三〇年度において課税価額が七一番宅地は金二四八、五〇〇円、七〇番宅地は金九四、〇六八円なることが疎明せられる。実際の市価は固よりこれ以上であることは推察できるがそれがどの程度のものか疎明資料を欠く。また本件乙第一一号証和解成立に立至つたまでの経過は、被控訴人において、旧円で受取つた金二二万円が封鎖預金とするの外何等の利益をももたらさなかつたという当時の金融政策から生ずる不利益を被つたとはいえ、その債務を履行しなかつたことから紛争に紛争を重ねた結果であること前示のとおりであつて、吉本が一〇万八〇〇〇円の金円を支払わないならば、被控訴人は早期に自己の債務につき完全な履行提供をして相手方を遅滞に陥れ、右金円と之に対する遅延損害金に付き乙第一一号証の和解調書により強制執行をなしてインフレのさほど進行しない中に価値の下落する前の金円を取得しえた筈である。以上の諸点を綜合して判断すると、被控訴人は右和解契約を事情変更の原則の適用により解除することをえないものとするの外はないから被控訴人の右の主張も採用し難い。以上のとおり被控訴人の右和解が解除されたとの主張は採用し難いから和解の解除によつて、本件不動産が被控訴人の所有に帰したとする主張は、和解が解除せられた場合の原状回復について被控訴人主張通りの見解(この見解自体も疑問がありむしろ和解が解除された場合は当該和解のなされた直前の係争関係が復活し、その係争関係につき双方の主張の是非を判断した上客観的な法律関係を解明せねばならぬものとするのが相当だとも考えられるがこの点は暫くおく。)を採用しても、解除そのものが無効である以上到底これを維持し難い。

(三)  以上説示したところによれば、吉本と被控訴人との間には前記乙第一一号証の和解調書による関係が双方未履行のまま今尚持続しておることになり、しかも右和解調書の文言上、一旦吉本に帰属した本件不動産(この点は既に上記三(一)(ロ)において説明した。)の所有権が被控訴人に復帰するの合意を窺うことのできるものは一もないことからして、本件不動産の所有権は依然吉本に属し、唯移転登記その他条項上被控訴人の義務の履行は吉本のなす金円支払義務と同時履行の関係にあつたものと断ずるのが相当であるから、(成立に争のない甲第三号証(平田奈良太郎証言調書)中異趣旨の記載はたやすく信用し難い。)結局被控訴人の本件不動産所有権に基く物権的請求権は否定せられる。

四、結論、以上によれば被控訴人主張の本件仮処分の被保全請求権は結局疎明せられないから、仮処分の必要につき判断するまでもなく本件異議は理由あり、これと異る趣旨に出でたやすく仮処分決定を認可した原判決及び本件仮処分決定を取消し、右申請を却下し民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用し主文の通り判決した。

(裁判官 田中正雄 宅間達彦 井上三郎)

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